尼僧ヨアンナ
[1. まぬけ犬推進委員会推薦図書]
最近読んだ本:
イヴァシュキェヴィッチ「尼僧ヨアンナ」
モンモン:「17世紀フランスで実話として残されてる悪魔祓いの話をイヴァシュキェヴィッチがポーランドバージョンにした小説。だからどこからどこまでが文献(スーリンのモデルになった神父の自伝など)に忠実なのか、どこからどこまでがイヴァシュキェヴィッチの創作なのか見分けられませんぜ!グロテスク系の話を書こうとしてるようにも見えるし、ラブストーリー系にも見えてきますぜ!あえて、モンモンの趣味に偏った要約をするとこんな感じですぜ!最近読んだ本の中では珍しく起承転結がはっきりしてるかも。
(引用じゃなくてまぬ犬による要約だから偏ってるので注意)
田舎の尼僧院で尼僧に取り憑いたという悪魔を取り除く役目を負った司祭スーリン。尼僧院では、ある時から、若き尼僧長ヨアンナをはじめ、『悪魔に取り憑かれた』という尼僧たちが卑猥な言葉を喋り踊ようになったのだという。スーリンはヨアンナの話を聞き、彼女らを哀れみ、何とかして悪魔を退治しようとする。だが、実は『悪魔が取り憑いた』という話は尼僧の作り話なのではという疑問も残される。その疑問は徐々に薄れていくものの、ヨアンナは自らの不幸な境遇を語る時、満足げな表情を浮かべ、またスーリンとの話の中に『自分を清純に見せかけるためのあからさまな嘘』を混ぜ、挙句『聖女にもなれず平凡でつまらない尼僧でいるくらいなら、悪魔に取り憑かれたままのほうがまし』というような事も言い出す。そんな彼女の姿を見るうちスーリンは、『悪魔』は外から取り憑いてきたものではなく、本人の内面から生じたものなのではと考え始めるようになる。そして、ついに彼は、自分の中にも巣食っている『悪魔』に気付く。彼は昔のように自分の清廉潔白さを信じられなくなり、自分が道徳的な力を失うのを感じた。そして『悪魔に取り憑かれた』彼は修道院から帰らされる事になり、その途上で彼は殺人事件を起こしてしまいましたとさ。」
ベルナ:「この話が書かれたのは戦後で、そんな大昔じゃないから、この話の中の『悪魔』って概念は、宗教には直接のない何かの隠喩になってもいそうよね!!!あと、登場当初はいわゆる奇形でどこか不気味な感じの存在として描かれてたヨアンナが、だんだんスーリンの目に『ひ弱な体と清純な魂』を持つ女性へと、何となく美化されて見えてくるのは、彼女への同情を象徴してるのかしら!!??『もしかしたら本当に彼女の中には悪魔はいないのではないだろうか?ヨアンナは現実には存在しない悪魔の犠牲であって、ただ善の欠落が彼女を支配しているのにすぎないのかもしれない、そう思っただけで彼の体を寒気が走った。』」
・追記
ベルナ:「話の最後の方の『道徳的な力』っていうのは、自分自身の道徳を信じる強さの事か、あるいは『道徳』ってものが持つ宗教的な意味での力の事かしら!!!」
モンモン:「スーリンは真面目な神父だったから、そういうものに依存する気持ちは特に強かったんじゃないでしょうかい。自分への自信とか、自分の拠り所になってたものを急に奪われると、人は精神をやられちゃうんでしょうぜ。」
ロビン:「でもこの話では『精神をやられちゃった』んじゃなくて『悪魔に取り憑かれた』って言ってるよ。」
・追記2
ロビン:「モンモンちゃんはどうしてもスーリン神父が『悪魔に取り憑かれた』んじゃなくて、頭がおかしくなってたってことにしたいんだね。」
しるく:「ジュビビジュー(そりゃ、悪魔なんて存在しないからな)」
ロビン:「でも、『悪魔』っていうのが、『重力』や『浮力』みたいに、理論上の概念の一つだとしたら、スーリン神父の中には『悪魔』はいたって言えるよね。そもそも、『科学』が世の中を発展させるために、世の中のあらゆる現象から法則性を見つけ出したもので、『宗教』が、皆がよいこで仲良しで暮らしていくために、世の中のあらゆる現象を『道徳』って基準で分析して法則性を見つけ出したものだって考えると、『科学』も『宗教』も似たようなものだよね。どっちも人間の頭の中から生み出されたものだから、どっちが『正しい』とか言えないよね。西洋医学と東洋医学の両方が共存してるみたいに、世の中ではお互いに矛盾する複数の秩序が共存できるんだよね。そんな世の中で、『正しい』ってことにされるような秩序は、一つの全体的な『流れ』として矛盾がないもの、事実と照らし合わせても説得力があるもの、つまり筋が通ってる秩序なんだろうね。きっと。秩序としての『正しさ』をどこまで貫けるかって話だね。」
モンモン:「えー、そんなモンですかい!?でも科学は、宗教と違って、既に見つけ出された結論を柔軟に塗り替えて説得力を維持できるから、『宗教に勝った』んでしょうぜ、事実上。今の時代、『科学で説明のつかなかったものが宗教で説明がつく』事より、『宗教で説明のつかなかったものが科学で説明がつく』事の方が多いですからね、圧倒的に!」
・追記3
ロビン:「実は追記2のぼくの言ったことって、人と意見とか考えが合わなかった時に、相手の考えを否定しないで自分の正しさを信じるための言い訳として思いついたんだ。まぬ犬なんていくら卑屈になっても人間関係は改善されなさそうだから、楽しくやってくためには、ちょっとくらい自信過剰な方が丁度いいのかもしれないね。」
・追記4
この本を読んでいるとき、自分がヨアンナみたいな人間として見られてたら(≒鬱キャラだと思われてたら)嫌だと思った。(笑)
でも彼女の浅ましさばかりが目に付くが(最初の頃は、ヨアンナは『自称鬱病のわがまま婆さん』的なキャラなのかと思ってた)、自分が本当にしんどい思いをしてるのにそれを周りに『自分に注目を集めるための嘘、演技』だと思われてたというのは気の毒だ。
・斜体部は引用
投稿者Manudog
: 2006年1月20日 00:28
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