ねずみチュウチュウ
[1. まぬけ犬推進委員会推薦図書]
(『カフカ寓話集』の一篇『歌姫ヨゼフィーネ、あるいは二十日鼠族』からの引用)
『ヨゼフィーネが生み出すのは、ただのチュウチュウだけではない。うんと離れて耳をすますか、あるいはこのような観点から、わが耳を試してみるほうがいいかもしれないが、ほかの声にまじってヨゼフィーネが歌っているとき、おのずと彼女の声を聴きわけなくてはならない。とすると、いやでも気がつくのだが、ごく普通のチュウチュウである。(中略)たとえごくふつうのチュウチュウだとしても、そこにはまず特異な一点がある。つまり、まさしくふつうのことをするのに、およそふつうでないしぐさをすることだ。クルミを割るだけのことはいかなる芸でもなく、やってみせて、しかもまんまともくろみを成功させたなら、それはもはや単なるクルミ割りだけではなくなる。あるいはたとえクルミ割りであっても、われわれはこれまでクルミ割り芸といったものを見過ごしていたことになる。私たちが単にクルミを割っていただけであるのに対して、いまや登場した新しいクルミの割り手が、クルミ割り本来の本質を示してくれたということになり、しかもクルミを割るにあたって、われわれのおおかたよりも少々ぶざまであったほうが、なおのこと有効に働く。』
ロビン:「そうだ!仮に世の中の『芸』っていうものが皆そういうもの (何かの本質を別のやり方で強調的に再提示したもの) だとして見てみると、Cartoon PlanetのBrakは、例の使いまわし画像のぶざまな画面の中で面白くない一人漫才やアホな歌を演じることで、『アホ』の本質を視聴者に………って、ちょっと違うね。やっぱり何でもないや。ごめんよー。」
モンモン:「そうですぜ!Brakに失礼すぎですぜ(笑)!」
・追記
モンモン:「Brakの歌っていうのは、ひたすらアホなのの他に、実際にある曲やジャンルをアホ化したパロディーも多いんですぜ。あと、Brakの面白くない一人漫才を日本語で例えるとこんな感じですかい!」
例1:
「ふとんがとんでった」
例2:
「土鍋の上にあるみかん」
例3:
「隣の家に塀が出来たって」「フーン」
投稿者Manudog
: 2006年01月28日 23:13
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